AWAWA GALLERY



タウン誌『あわわ』創刊30周年記念号にあたり、県内のグラフィックデザイナーさんが

誌面1ページを使って作品を展示する企画。今回、この企画に私も参加させて頂きました。




まず誌面上の作品はシンプルな構成とし、詳細についてはブログを見て頂くようにしました。

逆にこのブログを見て頂いた方には、誌面に興味を持って頂けるように。

一方向で完結してしまわないような導線(デザイン)をつくってみたのですが… 

この試みやいかに  ^-^;




Prologue


街に点在する様々な情報を足で稼ぎ、人と触れ合い、空気を感じながら

集めた情報を自らのフィルターを通して読者の方に伝える。

手塩にかけて作り上げた記事を見て人が笑顔になる。街が元気になる。

そしてそれらを糧にまた街へと繰り出す・・・

表舞台のきらびやかに見える雑誌の世界。その舞台裏は地道でとても泥臭い。


そしてそれはデザインのプロセスとも実に似ている気がするのです。





About work


『人の痕跡の残る表現』


タウン誌の編集者はひとりで何役もこなします。例えばカメラマン役もそのひとつですが

一昔前のポジネガの時代はその場で撮った写真を確認することなど出来なかったわけで、

焼き上がった写真からはそうした緊張感がひしひしと伝わってきたものでした。

それはデザインも然り。 私も学生時代はガラス棒、烏口を手にレタリング作業に専心し

社会へ出てからは写植を切り貼りしながらオモテ罫、ウラ罫を必死で引いていました。

そうした作業はもちろんコマンドゼットではもとには戻せない、のです  

今回の作品にはそうした「緊張感のある手作業」というテーマを自分に課しました。

文字ひとつが簡単に描ける時代に、非効率極まりないこの作業で

自らも何を考え、何を伝えられるかということを改めて確認したかったのです。




ひとつの文字を描く作業は、筆圧、ストロークの長さ、速度、ペン先の微妙な角度など

どの作業をとっても瞬間に完結するものがなく、それらを自由に操れることの楽しさであったり、

逆にイメージしているような表現が出きないことへのもどかしさであったり。

結果として扱う道具に対する意識、表現に対する原点を改めて感じることが出来ました。


実は以前のブログで、こんなことを書いていました。(一部改訂して抜粋)

コンピューターで絵を描くということがまだまだ縁遠いことだった私たちの世代は

筆や鉛筆といった道具を使って表現してきました。

絵の具のチューブを絞り出し混ぜ合わせることで欲しい色を作りだしていました。

この色とこの色が混ざるとこういう色になる、ということを自然に覚えていたのです。

今の子供は、グレーの色を塗るためにまずグレーという色の絵の具を探すそうです。

これに違和感を感じるのは、黒と白を混ぜればグレーになる事を私たちが知っているからなのです。

今はコンピュータを使えばパレットから選択するだけで欲しい色が一瞬にして手に入ります。

コンピューターは玄人と素人の区別がつかない程レベルの高い表現も可能にしました。

すでに出来上がったモノを組み立てるというプロセスが

より完成度の高い表現を可能にしているのかもしれません。

そこで改めて考えるのは、完成度の高い表現も中身を伴わないものであれば、

デザインの持つ本来の役割も見失ってしまう、ということ。


便利で効率の求められる時代だからこそ届けたいメッセージがそこにありました。





『信頼と安心という強さ』


また以前のブログでは、こんなことも書いていました。


安全安心の違いとは? この問いかけに対するひとつの応えに

「安全とは、品質管理が行き届いたコンビ二のおにぎり」で、

「安心は、お母さんがあなたのことを思って作ったおにぎり」

という例えが紹介されていたのですが、とてもわかりやすい例えだと思いました。

そして、自分の周囲にもそうした事がたくさんあることに気付いたのです。


例えば娘の通園路。

舗装された安全な道と普段の通い慣れた安心な道

この二つは実はその捉え方が全く違っていたのです。

人の感覚や温度が感じられるものは不安定に見えて実はとても強い。

そこには『信頼』や『安心』といった目には見えない強さがある、そう感じるのです。


今回の作品に込めたもうひとつのメッセージ。

30年という長い歴史を積み重ねてきたあわわさんへ。 届けられたでしょうか。



ちなみに・・・選んだ一文字のアルファベットについてですが、

ひとつは『あわわ』さんと『アドファーレン』に関係している文字であるということ。

そしてそれ以上の意味については、見て頂いた方それぞれの捉え方に委ねてみたいと思います。