2016年の熱い夏。

 


次男、高校野球の夏が終わりました。

 

最後の試合は高校公式戦初の打率10割 笑( 3打数3安打)と気を吐きました。
投げても「これまでで調子は一番良かった」

そう本人から聞いて、やりきったんやなあと思いました。

最後の試合は義弟の結婚式のため球場では見られませんでしたが、

帰って録画放送で息子の最後の戦いをしっかり見届けました。
最後ベンチ前で映った息子の真っ赤になった目を見た時は、

さすがに僕もこらえきれなかったです(>_<。)

小学2年生から続けてきた野球生活もこれで一旦ピリオドです。


約11年間、土日はほぼ野球漬けで兄妹にもいろいろ我慢もさせてきました。
試合前はいつもドキドキして。負けた時は一緒になって悔しがって。
「野球してなかったらこんな思いもしなくて済んだんかなあ」と思った時もあったけど、

それ以上の喜びや楽しさ、たくさんの仲間とのいい思い出ができました。


ふと去来する「ホンマに終わったんかあ」という淋しさと、

まだ半分は実感がないというのも正直なところです。
本人は大学へ行って野球を続ける予定ですが、今度は遠くからの応援になります。

 

今はこんな経験をさせてくれた息子に感謝。そしてそれを支えてくださり、

また応援してくださった多くの方々への感謝しかありません。

 

本当にありがとうございました!

 

 


広告とコミュニケーション

日経トレンディに海部観光マイフローラの記事がアップされていました。
安全に徹底的にこだわり、真摯にお客様と向き合っている海部観光さん。

僕自身も海部観光さんとのお仕事に関わっていく中で
海部観光という会社のこと、取り組みや思いを
もっとたくさんの人に知っていただきたいと思い、
以前、ひとつの広告を提案したことがありました。

広告自体の信頼の薄れる中、友人からの情報、ネットでの口コミ、
利用者によるレビューなどから消費行動を起こすことに着目し、
ツイッターのようなSNSから話題に上っているリアルな情報を拾い出し、
たくさんの人に知っていただくにはどうすればよいか。

コミュニケーションとは何かを考え抜いて生まれた広告です。
長い文章ですが、読んでいただければ幸いです。

→ デザイン=コミュニケーション


表層の美しさだけで捉えるのではなく、その時々に
必要なデザインを選択することは私たちの重要な役割でもあります。

広告という現場にいながら広告だけでは伝えられない
その会社や商品や携わる人たちの魅力はまだまだ
伝えれらていないと感じることがたくさんあります。
必要としている人に必要としている情報を過不足なく届けること。
そのためにデザインの出来ることはまだまだあるはずだと思うのです。
 

マラソンと思考


とくしまマラソンが終わって約1週間が経ちました。


イベント後のバタバタも少し落ち着いてきたので

少し今回のマラソンについて自分なりに考えてみたことをまとめてみました。


そもそも今回のマラソンは膝痛という、ランナーにとっては

なんとも致命的なケガ、ありきのエントリーでした。

膝の痛みは、走り出してから23kmアタリで決まって発症してくれるのですが、

そうなってしまうと以降は痛みで走ることが出来ず、

歩いてどうにかスタート地点まで戻ってくるというような状況で。。。


そうしたこともあって、結局練習で走った最高距離はナントたったの5km (;^ω^A

その5kmでさえも大会直前は走ってではなく歩いてペースを刻む

という練習にならざるをえない状態になっていました。

この時点で本当に出走するかどうかも微妙な状況ではありましたが

走りを交えながら早く歩くペースとゆっくり歩くペースを

うまく組み合わせて、ペースを維持することが出来れば

理論上は完走出来る可能性があるということがわかったのです。



これが僕が実際に7つの関門をクリアしながらタイムリミットの

7時間以内に完走するためにはじき出したペース表と

それを握りしめて走り続ける図。(超リアルです、お恥ずかしながら


2関門を例に挙げますと

-------・・・関門測定ポイント(ざっくり)

125)・・・スプリット(予定通過タイム)

140・・・実際の関門閉鎖のタイム



完走出来る可能性があるなら出走してみよう、というのが結論。


そこからは5kmの範囲でペースを早めて歩いてみたり、

ゆっくり走ってみたりを繰り返し練習し、とにかく5kmの距離と時間だけは

自分でコントロール出来るよう体に覚えさせることに専念しました。

学生時代にやっていたボクシングの1ラウンド(アマチュアは1R2分)を

体に覚えさせることと同じような感覚でしたので、今考えてみても

このこと自体はさほど難しいことではなかったように思います。


当日はテーピング、サポートタイツ、ベルトサポーター、冷却エアーサロンパス

痛み止めのロキソニン(結局使いませんでしたが)などなど

膝をサポートするためのあらゆる準備をしてスタート地点に立ちました。


マラソンの本来の目的とはなにか・・・

当然走る人それぞれに様々な目的があっていいのだと思います。

ただ今回のように42.195km先のフィニッシュを目指すことを目的にした場合、

現状を踏まえた上で、どうすれば目的を達成することが出来るのか。

とてもロジックな思考とそれらを実現するための周到な準備が必要だと感じました。

(後は根性とか覚悟とか精神論になってきますけど、それは結構自信あったので^-


・・・結果はツイッターやフィスブックでもお知らせした通り、

とにかく予定通りの時間で「完走」をすることが出来ました!

(今回、膝痛は5kmやや手前で発症。練習は正直ですね、ホントに)


さらに今回の出走は結果的にいろんなことを考えるきっかけにもなっていて、

そのひとつが、マラソンはデザインのプロセスと通ずる部分がある、ということだったり。

ちなみにアドファーレンの社名の由来も然り…(一部を抜粋してご紹介します!)

---------- ADART DIRECTIONの略であり、

FAHREN(ファーレン)はドイツ語で「乗り物で移動する」という意味。

乗り物で移動する行為がアートディレクションのプロセスとオーバーラップするとの考えから、

「『デザイン』という乗り物が企業のイメージや想いを運ぶ」という風に捉えたのです。

人がどこかに移動する際には、その目的や到達地点(場所)がはっきりしています。

移動手段に始まり、かかる経費や時間、ルートなどもしっかりと把握しておくはずです。

それが曖昧であれば無駄も多くなる上に目的地に到着できないということも考えられます。

目的の本質を見極め、明確な到着地点を判断し、その経路、手段などを

しっかりと考えていく必要があるのです。----------


まさにそうした思考プロセスを自身で体現したカタチとなった今回のマラソン。

ひとつ目的がクリア出来た事で、今度は次に取り組むべきこと、

そのために伸ばしていく部分と修正して行く部分。

これらが明確になったこともひとつ大きな収穫になったと感じています。



とにかく今は怪我をしっかりケアして、走るための準備をしっかりした上で

楽しみながら走ること、そして次の新たな自分に挑戦してみたいと思っています。


最後に、応援いただいた皆さん、本当にありがとうございました!!\(^ー^)/




紙とデザイン

 
香川県のとある会社のビジネスツールを制作中。

「好きにしていいよ」とはまさにデザイナー冥利に尽きる言葉。と同時にプレッシャーズシリ^-^;


さて、こちらが印刷所から届いたいくつかの紙見本。

NTラシャ、ケナフ、ロベール、アラベール、サーブル、タントセレクト

同じ白のファインペーパーでもこれだけ表情が違う。

指で感触を確かめたり、角度を変えたり、光にかざしたり、透かしたり、匂いを嗅いでみたり。


お客様の手元に届いた時、どんな風に感じてくれるのか、そしてどんな行動をとってもらえるのか

イメージして、ワクワクしてそんなことを考えながら紙と向き合っているわけです。



デジタル化の波が押し寄せ、ペーパーレス時代の到来が囁かれる中にあって、

やっぱり紙が好き!という人は周りにまだたくさんいて。ま、僕の周りだからなのかもしれませんが

とにかく紙はまた大量消費されていた時代とは全く異なる価値を持ちはじめている、そう思うのです。


そしてこの紙の風合い、触感、表現力を活かすことはデザインのアウトプットにおいても

重要なエレメントであり “ どんな紙を選ぶのか ” ということ、それ自体もまたデザイナーの

大切な役割のひとつなのだと考えるのです。



しかしながらオペレーション的な作業や、印刷をお願いするだけだった独立当初の日々を考えると

この紙を選ぶことが出来るという環境そのものにも感謝をしなければと、改めて思います。 ^-^


NEXT STAGE



突然ですが・・・

私この度、10年間制作に関わってきましたワイヤーを卒業をさせて頂く事になりました!



これが僕が手掛ける最後のワイヤーの表紙。こう書いているとやっぱり感慨深いものがありますね。




とにかくがむしゃらに、自分が出来る精一杯のことで応えながら、

10年というワイヤーの歴史の一旦を支えてきた、そんな自負もあります。

ただ10年という節目、時流の変化に伴った形態の変化の中で

ワイヤーにおけるデザイン=ソリューションという役割においては

ひとつ自分の役目をしっかり終えられたのではないかと思っています。



ワイヤーっぽいというは言葉とても感覚的な表現ですが

それをデザインという手法でロジックに積み上げてきたこと。

これはブランドを育てるという点でも大切な役割を果していたと思うし、

それは僕自身のスキルにおいての自信や糧にもなっているのです。




デザインは時代によって変化を求められるものでもあるし、

創り手自身も経験を積みながら、表現力や技術力を高めながら成長していきます。



これは今や幻!の10年前の創刊当時の冊子。
そういう意味で表現のクオリティに違いはあるかもしれません。
ですが、その注ぎ込んできた熱量は当時も今も変わりはないのです。





とにかく、10年という長い年月を経て、自分自身の役割を全うしたという一服の清涼感と

安堵感の方が大きいのです、今は正直に。



そしてステキな仲間との出会い、これこそが本当の財産なんだ、そう思えるのです。

今はワイヤーに関わるすべての皆さんに感謝です。ありがとうございました!




そして僕自身も心おきなく

次のステージに向かってさらに加速していきたいと思います!(*^▽^*b






Helvetica Type A


PRIVATE WORKS − AWAWA GALLERY





AWAWA GALLERY



タウン誌『あわわ』創刊30周年記念号にあたり、県内のグラフィックデザイナーさんが

誌面1ページを使って作品を展示する企画。今回、この企画に私も参加させて頂きました。




まず誌面上の作品はシンプルな構成とし、詳細についてはブログを見て頂くようにしました。

逆にこのブログを見て頂いた方には、誌面に興味を持って頂けるように。

一方向で完結してしまわないような導線(デザイン)をつくってみたのですが… 

この試みやいかに  ^-^;




Prologue


街に点在する様々な情報を足で稼ぎ、人と触れ合い、空気を感じながら

集めた情報を自らのフィルターを通して読者の方に伝える。

手塩にかけて作り上げた記事を見て人が笑顔になる。街が元気になる。

そしてそれらを糧にまた街へと繰り出す・・・

表舞台のきらびやかに見える雑誌の世界。その舞台裏は地道でとても泥臭い。


そしてそれはデザインのプロセスとも実に似ている気がするのです。





About work


『人の痕跡の残る表現』


タウン誌の編集者はひとりで何役もこなします。例えばカメラマン役もそのひとつですが

一昔前のポジネガの時代はその場で撮った写真を確認することなど出来なかったわけで、

焼き上がった写真からはそうした緊張感がひしひしと伝わってきたものでした。

それはデザインも然り。 私も学生時代はガラス棒、烏口を手にレタリング作業に専心し

社会へ出てからは写植を切り貼りしながらオモテ罫、ウラ罫を必死で引いていました。

そうした作業はもちろんコマンドゼットではもとには戻せない、のです  

今回の作品にはそうした「緊張感のある手作業」というテーマを自分に課しました。

文字ひとつが簡単に描ける時代に、非効率極まりないこの作業で

自らも何を考え、何を伝えられるかということを改めて確認したかったのです。




ひとつの文字を描く作業は、筆圧、ストロークの長さ、速度、ペン先の微妙な角度など

どの作業をとっても瞬間に完結するものがなく、それらを自由に操れることの楽しさであったり、

逆にイメージしているような表現が出きないことへのもどかしさであったり。

結果として扱う道具に対する意識、表現に対する原点を改めて感じることが出来ました。


実は以前のブログで、こんなことを書いていました。(一部改訂して抜粋)

コンピューターで絵を描くということがまだまだ縁遠いことだった私たちの世代は

筆や鉛筆といった道具を使って表現してきました。

絵の具のチューブを絞り出し混ぜ合わせることで欲しい色を作りだしていました。

この色とこの色が混ざるとこういう色になる、ということを自然に覚えていたのです。

今の子供は、グレーの色を塗るためにまずグレーという色の絵の具を探すそうです。

これに違和感を感じるのは、黒と白を混ぜればグレーになる事を私たちが知っているからなのです。

今はコンピュータを使えばパレットから選択するだけで欲しい色が一瞬にして手に入ります。

コンピューターは玄人と素人の区別がつかない程レベルの高い表現も可能にしました。

すでに出来上がったモノを組み立てるというプロセスが

より完成度の高い表現を可能にしているのかもしれません。

そこで改めて考えるのは、完成度の高い表現も中身を伴わないものであれば、

デザインの持つ本来の役割も見失ってしまう、ということ。


便利で効率の求められる時代だからこそ届けたいメッセージがそこにありました。





『信頼と安心という強さ』


また以前のブログでは、こんなことも書いていました。


安全安心の違いとは? この問いかけに対するひとつの応えに

「安全とは、品質管理が行き届いたコンビ二のおにぎり」で、

「安心は、お母さんがあなたのことを思って作ったおにぎり」

という例えが紹介されていたのですが、とてもわかりやすい例えだと思いました。

そして、自分の周囲にもそうした事がたくさんあることに気付いたのです。


例えば娘の通園路。

舗装された安全な道と普段の通い慣れた安心な道

この二つは実はその捉え方が全く違っていたのです。

人の感覚や温度が感じられるものは不安定に見えて実はとても強い。

そこには『信頼』や『安心』といった目には見えない強さがある、そう感じるのです。


今回の作品に込めたもうひとつのメッセージ。

30年という長い歴史を積み重ねてきたあわわさんへ。 届けられたでしょうか。



ちなみに・・・選んだ一文字のアルファベットについてですが、

ひとつは『あわわ』さんと『アドファーレン』に関係している文字であるということ。

そしてそれ以上の意味については、見て頂いた方それぞれの捉え方に委ねてみたいと思います。





父性と母性とデザインと


人にとって最も必要な自己肯定感は母性によって育まれる。
しかし子どもが自立するためには責任を学ぶことが必要で、それは父性の役割である。
…とある本の一節です。

デザインと直接的には関係のないお話ですが。


子どもに良いこと、悪いこと、やっていいことと悪いことの境界線を示すこと。
子どもに心地よい母性からの巣立ちを学ばせ、責任をとることを教える。
これが父性の役割。
“そのままの自分が最高だと教える母性”と
“自分を抑制することを教える父性”がひとつになった時、
子どもは自立への道を歩み始めるのです。

父親の子育ては大切なことですが、それは早く家に帰りオムツをかえたり
休日にキャッチボールをしたりすることだけでは決してありません。
そういった時間を肯定的に捉えながらも本書ではこのように書かれていました。
父親は子どもに大切なメッセージを与え、そしてその存在を築かなければなりません。
大切な事は父親が不在の間も父親の存在感を高める事です。
そしてそのために重要なことは職場において“いい仕事”をすることです。

ここでいう“いい仕事”とは、仕事と向き合う自らの姿勢のこと、です。
自らの仕事に誇りを持ち、それを伝えていくことで子どもは父親から誇りを学び、
その姿を見ながら世の中に出て働く事がどういうことかを学んでいくのです。

そして本書はこの章の最後を、こう締めくくっています。

家族を養うために仕方なく働いている以上の
働く喜びや、社会の役に立つ喜びを子どもに見せてください。


僕自身“デザイン”を生業とした20歳の頃から父親になった今でも
その情熱は褪せることがありません。
何よりもデザインを通して“いい仕事”に関わってきたという自負がある限り、
子供たちにも父親としてのメッセージはきっと届いているはずです!